息栖神社は鹿島神宮、香取神宮とともに東国三社の一つと称され、松尾芭蕉など多くの文人墨客が訪れました。水上交通が盛んな頃は息栖河岸とともに、まちの賑わいを創り出してきました。
東国三社詣やパワースポット巡りブームとともに、メディアに取り上げられるなど息栖神社への注目が高まっています。
TBSテレビ「世界ふしぎ発見」でも取り上げられ、湘南乃風SHOCK EYEさんが息栖神社を参拝しました。
2021.12.18
TBS系「日立 世界ふしぎ発見!」のロケが息栖神社でおこなわれました!
今回のテーマは 「来年の運気アップも間違いなし!?歩くパワースポットSHOCK EYEと行く最強神社巡り!」 関東屈指のパワース...
県外から息栖神社を訪れる参拝客や観光客も増えていますが、なぜ多くの人を惹きつけるのでしょう?
今回は、その歴史や魅力に迫ります。
(この記事は広報かみす2019年1月1日号の「まちの魅力再発見」から抜粋・加筆・修正し、掲載しています)
神話や御祭神について
なぜ東国三社と並び称されるのか
東国三社というのは、鹿島神宮、香取神宮、息栖神社の総称です。全国的に有名な鹿島神宮、香取神宮に比べると、息栖神社は規模、知名度ともずいぶん差があるように感じます。
それなのになぜ、この三社が並び称されるのでしょう?
由来は、上代の昔まで遡ります。天孫降臨に向けて天照大御神(あまてらすおおみかみ)から遣わされ、「国譲り」神話で功績をあげたのが東国三社の御祭神です。
このとき鹿島神宮と香取神宮の神々を道案内したのが、息栖神社の御祭神である岐神(くなどのかみ、久那戸神)、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)とされています。
水や交通に関わる神を祀る
息栖神社が最初に置かれたのは現在の日川地区と伝えられており、大同2年(807)に現在地に遷されました。岐神(路の神・井戸の神)、天鳥船神(交通守護の神)に加え、住吉三神(海上守護の神)が祀られています。
息栖神社は鹿島神宮の摂社という位置づけです。これは、鹿島神宮と縁の深い神を祀る神社のこと。手子后神社(神栖市)、大洗磯前神社(大洗町)とともに、「鹿島神宮の三摂社」と称されることもあります。
歴史|東国三社詣の一大ブーム
東国三社詣のはじまり
江戸時代の息栖神社と息栖河岸の賑わいを描いた鳥瞰図『鹿島志』(神栖市歴史民俗資料館所蔵)
江戸時代初期に、江戸湾(東京湾)に注いでいた利根川を銚子に向かわせる河川改修事業「利根川東遷」が始まり、舟運が発達します。それにより、下利根地方を船で巡拝しながら風光明媚な景色を楽しむ物見遊山の旅が盛んになりました。
特に、江戸時代中期はお伊勢参りが大流行し、伊勢から無事に帰ったことを感謝する「下三宮参り」「お伊勢参りのみそぎの三社参り」などと呼ばれる東国三社詣が一大ブームを巻き起こします。
息栖神社の目の前にある息栖河岸は、利根川水運の拠点として連日大いに賑わいました。
ジオラマで見る息栖
神栖市歴史民俗資料館では、当時の息栖神社と息栖河岸を表現したジオラマを見ることができます。
保立純子館長(当時)が、ジオラマを指しながら解説してくれました。
江戸をはじめ各地からの旅行者を運んだのが、木下河岸から出る”木下茶船(きおろしちゃぶね)”と呼ばれる乗合船でした。
安永7年(1778)から天明9年(1789)の12年間にわたって、1日平均12艘も運行され、年間約1万7千人が利用したといわれています。
息栖神社と関わりの深い柏屋旅館は、江戸時代から息栖河岸の前で営業しており、指定宿となっていました。昔は利根川の水深が今より大分浅く、一の鳥居とその両脇の忍潮井(おしおい)の鳥居は川の中に立っています。
ずっと後の昭和48年に河川改修をした際、船溜まりのほとりの現在地に移されました
歴史民俗資料館は”水と人々のくらし”を主なテーマとしているため、息栖河岸の隆盛や、水路を利用した江戸時代の旅事情など、水との関わりという視点から息栖神社への理解を深めることができます。
多くの文人墨客が来訪
東国三社詣が人気を集める中で、多くの文人墨客も三社のあるこの地域を訪れています。
松尾芭蕉、吉田松陰、賀茂真淵の高弟である加藤千蔭、村田春海、小林一茶、十返舎一九、渡辺崋山、大原幽学など、そうそうたる顔ぶれです。
明治の文豪・徳冨蘆花は、息栖神社前の柏屋旅館に滞在して執筆。名著『自然と人生』の中で、「利根の晩秋」と題して息栖神社の風景を叙情豊かに描写しています。
大正時代になると神之池周辺のリゾート開発が進み、華族、軍人などの往来が増えます。その時も息栖河岸が玄関口となり、柏屋旅館が当時としては珍しいフォード車で客を送迎するなど、地域の発展を象徴する光景が見られました。
“神栖”という地名の由来
昭和30年、軽野村と息栖村が合併し、神栖村が誕生。
このとき、神之池と息栖神社から「神栖」という村名が付けられました。
その後、神栖町、神栖市となり、東国三社詣やパワースポットが注目される今、「神の栖(すみか)」という意味を連想させる地名にロマンを感じる参拝客が多いようです。
神栖という地名のもうひとつのルーツ「神之池」の歴史については以下の記事をご参照ください。
2021.09.22
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歴史を感じる多彩な祭事
息栖神社では1年間に11回の祭事が行なわれています。
厳かな神事だけでなく、華やかなお祭りや家族揃って楽しめるお祭りも行なわれ、ここで紹介する他にも多彩な祭事があります。
ぜひ足を運んでみてください
12年に一度「御船祭」。神話の世界が目の前で展開される
東国三社のつながりが色濃く表れる祭事もあります。それは、鹿島神宮最大の祭典とされる「御船祭(みふねまつり)」で、12年に一度行なわれます。
まず、天皇陛下の勅使をお迎えして例祭を行ない、翌朝”鹿島立ち”の大行列が大船津へ向かいます。
お供の大船団とともに、鹿島神宮の御神輿が御座船で巡幸し、香取神宮の御祭神と水上で出会う、壮麗な祭典です。
この時、息栖神社の先導船が重要な役割を果たします。鹿島神宮の御座船を先導して浪逆浦を経て加藤洲まで行き、そこで香取神宮による御迎祭という儀式が執り行なわれるのです。
まさに「鹿島神宮と香取神宮の神々を息栖神社の御祭神が道案内した」という神話の世界が、目の前で展開されるようです。
市の無形文化財「ささら舞」奉納の歴史
神栖市の無形文化財に指定されている田畑地区の獅子舞(ささら舞)も、その歴史を辿ると鹿島神宮と関わりがあります。歴史民俗資料館にその装束が展示され、由来が記されています。
それによると、江戸時代の中頃まで鹿島神宮の神幸祭で神事の先ぶれとして奉納され、その後、大正10年頃まで息栖神社の例大祭で奉納されていました。この舞がないと神事が進行しないため、「飯前ざさら」と称し、早朝に行なわれたそうです。
現在は、7月の最終日曜日に、地区の鎮守である白鳥神社や西福院に奉納されています。地域の郷土芸能にも、鹿島神宮と息栖神社につながる歴史があることを知ると、また新たな視点で見ることができそうです。
そして今、再びブーム到来!
メディアで紹介され、参拝客が急増中
パワースポットや御朱印集めがブームとなる中で、東国三社詣や息栖神社が再び見直されています。
長年にわたって息栖神社を守ってきた氏子総代の皆さんによると、テレビで取り上げられてから急激に参拝客が増えたといいます。
特に人気なのが「東国三社お守り」です。
これは、木製の本体に、三社を巡っていただいた御神紋シールを貼り付けて完成させるものです。
人気のパワースポット
パワースポットとしても注目を集めています。
特に、日本三霊泉のひとつの「忍潮井(おしおい)」を目当てに訪れる観光客は少なくありません。
常陸利根川沿いの、一の鳥居の両側にある2つの井戸が忍潮井。辺り一帯が海だった頃から1000年以上もの間、潮をおしのけて清水が湧き出し続けてきたとされており、伊勢の明星井、伏見の直井とともに、日本三霊泉の一つに数えられます。
この井戸の底に据えられた男瓶・女瓶が見えれば幸運が訪れるとされています。女瓶の水を男性が、男瓶の水を女性が飲むと縁結びのご利益があるとも伝わりますが、現在は直接飲むことはできません。
また、境内の「招霊(おがたま)の木」は幸運をもたらす精霊が宿るとされ、近寄るとパワーをもらえるそうです。
さらに、東国三社を地図上で結ぶと、ほぼ直角二等辺三角形になることや、香取神宮の真東に息栖神社が位置していることなど、その神秘的な配置も話題となっています。
深い森に包まれ、清浄な空気を全身で感じられる息栖神社。境内を散策すると、さまざまな歴史や神話に出会うことができます。
“まちのにぎわいの場”として整備プランが進行中!
休憩スペースや展望スポットなど息栖神社を訪れた方の憩いの場として機能するよう計画中です。
整備の進捗状況については、次の記事でお知らせしています。
2024.09.06
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現在、息栖神社周辺では、歴史や文化を尊重しながら地域活性化を目指すプロジェクトが進められています。 息栖神社は、鹿島神宮(鹿嶋市)、香...
散策マップ
静かな境内に、たくさんの見所がギュッと詰まっています。ぐるりと一周すれば、神秘のパワーがもらえそう。
歴史と神話の宝庫へ、さあ出かけましょう!
(この記事は広報かみす2019年1月1日号の「まちの魅力再発見」から抜粋・加筆・修正し、掲載しています)
元の特集記事は以下をご参照ください。
2019年:広報かみす特集「まちの魅力再発見」 / 神栖市公式HP