《息栖神社と御船祭》ご祭神を導く、12年に一度の船出

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鹿島神宮最大の祭典であり、香取神宮との深い関係をしめす御船祭(みふねまつり)。

勇壮・華麗な水上渡御(とぎょ)で、神栖市の息栖神社の先導船が大船団の先頭に立つ大役を務めているのをご存じですか?

遠い昔から神事を大切に受け継いできた、地域の人々の思いに迫ります。

外浪逆浦を航行する船団

鹿島神宮式年大祭「御船祭」の大船団。先導するのは息栖神社の船(外浪逆浦)

12年に一度の式年大祭

息栖神社の先導船

息栖神社の先導船

9月2日の早朝、「先導船 息栖神社」ののぼりを掲げ、五色の吹き流しや幕、大漁旗で飾られた船が常陸利根川に姿を現しました。鹿島神宮式年大祭「御船祭」の大船団を導くため、大船津へと向かっていきます。

この日のために、息栖神社と氏子総代の皆さんは、1〜2年も前から準備を進めてきました。

御船祭というのは、鹿島神宮で12年に一度、午(うま)年におこなわれる大祭です。

9月1日から3日にかけておこなわれる神事の総称で、中でも御神輿(みこし)を奉載した御座船(ござぶね)が、供奉(ぐぶ)船を従えて香取市加藤洲に渡る水上渡御は、壮麗を極め、水上の御船祭としては国内最大規模を誇ります。

鹿島神宮の御座船

鹿島神宮の御座船

その起源は古代までさかのぼり、『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』に、舟を津の宮(現在の香取市)に納めるという約2000年前の故事が記されています。

平安・鎌倉時代には、水上渡御がおこなわれるなど、現在の祭りに近い形がほぼ整えられたようです。

戦国時代から江戸時代にかけて船による渡御は途絶えますが、明治3年(1870年)には大規模な御船祭が数百年ぶりに復活し、明治15年(1882年)以降は、12年に一度の大祭として、途絶えることなく今日まで脈々と受け継がれてきました。

氏子の皆さんが守り受け継ぐ

息栖神社の氏子の皆さんがどのような思いで御船祭に臨んでいるのか、氏子総代会会長の猿田信守さんに話を聞きました。

息栖神社

息栖神社

息栖神社氏子総代会の猿田会長

息栖神社氏子総代会の猿田会長

息栖地区(1〜7番組および息栖原)に住む氏子の中から、9人が順番に氏子総代(任期3年)を務め、総代会を運営しているそうです。

まず、御船祭に向けた準備について聞きました。

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猿田さん

総代会の諸先輩にご教授をいただき、資料を見ながら段取りを話し合ってきました。

昔からの伝統にのっとって、船の飾り付けの準備、陣羽織や袴(はかま)など装束の手配を済ませ、当日が近づいて使用する船や接岸場所が決まると、総代全員で飾り付けをおこないます。

御船祭の伝統を大切にしてきた中でも、昔と今で変化したことはあるのでしょうか?

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猿田さん

昔は、常陸利根川での漁業や中洲での農業が盛んで、先導船の周囲にたくさんの漁船や田船(たぶね)が集まって見送りをしてくれたと聞いています。

今では船を所有する方が減ったことに加え、航路や船の大きさなどの規定も厳しくなったので、そのような見送りはできなくなりました。
また、前回(12年前)は大船津から先導船に乗船し出発したため、神栖市の皆さんに披露する機会がありませんでした。

そこで今回は、息栖神社前の常陸利根川を巡回するコースをとれるよう、鹿島神宮に前もってお願いしました。先導船に乗船するのは、息栖神社の宮司さん、総代、ほか関係者など合計12人です。

大正から昭和初期の息栖河岸(モノクロ写真)

大正から昭和初期の息栖河岸

整備された息栖船だまり

息栖神社前の船だまり

猿田さんに御船祭の思い出話を聞いたところ、驚きのエピソードが飛び出しました。

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猿田さん

実は、私の父も36年前に氏子総代として先導船に乗船しております。

氏子総代の順番が回ってくるのは一生に一度のことで、私も1年ずれていれば御船祭の年に当たらなかったわけですから、偶然の巡り合わせに非常に驚いています。

地域の伝統が代々受け継がれ、今につながっていることを改めて実感しました。

こちらの記事でも、先導船の飾り付けの様子や、氏子の皆さんの御船祭への思いをご覧いただけます。

市民に見送られ先導船の大役を務める

御船祭は、9月1日に鹿島神宮に天皇陛下の御遣いである勅使を迎える勅使参向例祭(ちょくしさんこうれいさい)から始まり、2日には陸路と水路を合わせて約31キロメートルを、神様と共に大行列が巡幸します。

水上渡御地図

水上渡御地図

息栖神社では、午前3時に関係者が集合して装束に着替え、その後先導船に乗り込みました。

一方、息栖神社前の常陸利根川堤防には、市民が続々と集まってきました。
午前6時、先導船が常陸利根川をゆっくりと北上し、堤防前で大きく旋回して市民の見送りに応えます。

先導船が巡回しているようす。手前には船に向かって手を振る市民

息栖神社前の常陸利根川を巡回する先導船

1周目、2周目と、船上と堤防で互いに手を振り合い、最後の3周目には「行ってらっしゃい」の声が上がり拍手が起こりました。

およそ15分間の見送りに、「12年に一度のことだから、先導船を見ることができてよかった」と、感激の表情を浮かべる皆さん。

今回が初めてという人もいれば、12年前に潮来河岸まで見物に行った人や、前日に鹿島神宮で勅使参向例祭を見てきた人もいて、それぞれが御船祭への思いを語りながら余韻に浸っていました。

市民が手を振っているようす

堤防に集まった市民が手を振って見送る

午前8時、道中の安全などを祈る行宮御発輿祭(あんぐうごはつよさい)の神事をおこなったあと、鹿島神宮を中心に、ご祭神である武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)の御分霊を奉載した御神輿と約2500人の陸上神幸列が練り歩き、大船津で御神輿を御座船に奉載。

そこから先導船を先頭に、約100隻の大船団が鰐川へと出発します。

堤防はもとより鰐川橋にも鈴なりの見物客。遠くに先導船が見えると、これから目の前で繰り広げられる歴史絵巻への期待が高まります。

華やかな飾り付けを施した大小の船が川面を彩り、極彩色の龍頭(りゅうとう)を飾り付けた御座船が圧巻の存在感を放ちながら悠々と進んでいきました。

鰐川橋の下を通過する御座船

鰐川橋の下を通過する御座船

大船団は、鰐川から北浦・外浪逆浦(そとなさかうら)を経て香取市加藤洲まで約2時間かけて巡航し、御座船の船上で香取神宮の宮司が祝詞(のりと)をあげる重要な神事「香取神宮御迎祭(おむかえさい)」をおこないました。

帰路もまた先導船が最後まで大船団の水先案内を務め、大船津に戻ります。

折り返しの潮来船着場河岸を出発する先導船

折り返しの潮来の船着場河岸を出発する先導船

鰐川橋付近を通る大船団を見物する人々

鰐川橋と付近の堤防に多くの人が集まった

外浪逆浦を通る大船団

外浪逆浦を通る大船団

神事の後、先導船は常陸利根川を南下して息栖神社に帰り、無事に大役を務めたことを主神(久那斗神/くなどのかみ)と相殿神(天乃鳥船神/あめのとりふねのかみ)に報告しました。

翌3日には鹿島神宮で行宮(あんぐう)祭、還幸祭がおこなわれ、御船祭が滞りなく幕を閉じました。

地域の伝統を次代へつなぐ

息栖神社は御船祭について、

御神輿(神)が鎮まっておりますので、一生懸命に奉仕しました。鹿島神宮の式年祭が長く続く限り、息栖神社も継承してまいります。

と言葉を寄せてくれました。

今後の継承について、氏子としての思いを猿田さんに聞きました。

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猿田さん

鹿島神宮から息栖神社先導船の命を受け、多くの皆さんのご協力のもとで務めさせていただきました。

氏子総代には、文化・伝統を次世代に伝えていく役割があります。

氏子の皆さんは昔の記録や記憶に頼るだけでなく、先人の思いを言霊のように魂に刻んできたのではないかと思いますし、そうして何世代も伝わっていくものと信じています。

はるか遠い昔から、土地の守り神としてこの地にあり続ける息栖神社。

御船祭を通して、「歴史をつないでいきたい」と願う人々の強い思いに触れることができました。

地域の人々が紡いできた思いや伝統を積み込み、時代を巡り続けてきた「船」は、現代の私たちの元へとたしかに辿り着いています。私たちがその息遣いを感じるとき、それは過去のものではなく、未来へと漕ぎ出す力に変わっていくでしょう。

(この記事は広報かみす2026年10月号の「神栖ディスカバリー vol.40」から抜粋・加筆・アレンジし掲載しています。広報紙は下記リンク先よりご覧いただけます。)

こちらの記事についての動画も公開しています。ぜひご覧ください。

● カミスミカcolumn

“神話”でつながる御船祭と東国三社詣


平安時代の『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』に“神宮”と書かれているのは、伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の3社のみです。その格式の高い神宮と息栖神社が、なぜ深い関わりを持っているのでしょう?

船上での御迎祭のようす

御船祭の御座船上で香取神宮の宮司が祝詞を奏上する「香取神宮御迎祭」。鹿島神宮と香取神宮の関係の深さを物語る

その理由は、「国譲り」神話で鹿島神宮と香取神宮の神々を道案内したのが、息栖神社の主神である久那斗神(くなどのかみ)とされているからです。
鹿島・香取の神々が国譲りを成功させることができたのも、久那斗神が水路・陸路ともに案内をしたためだと伝わります。

久那斗神図

久那斗神図(神栖市歴史民俗資料館所蔵)

御船祭における先導船も、東国三社詣も、この神話に由来します。
江戸時代中期に大流行した東国三社詣は、お伊勢参りから無事に帰った後に鹿島神宮、香取神宮、息栖神社をお参りしたのが始まりです。数百年の時を経て、日本有数のパワースポット巡りとしてブームが再燃しました。

猿田さんは、息栖神社の移り変わりを感慨深げに語ります。

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猿田さん

私が子どもの頃の息栖神社は、木が鬱蒼(うっそう)と茂り、肝試しや冒険ごっこ遊びをするような場所でした。

今では、東国三社詣の参拝客が増え、境内も周辺も様変わりしています。
神門を改修し、社務所を立て替え、息栖にぎわいテラスや駐車場、船だまりが整備されました。

このタイミングで御船祭の年を迎えることができ、さらに多くの方に息栖神社に関心を持っていただければと願っています。

※現在、二の鳥居から御神門の参道補修工事を行っております。
工事は、令和8年11月末に終了予定です。

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